今日は、世田谷文学館で、池波正太郎の世界展その他を見てきました。
本当は、羽村の方に行きたい気持ちがあったのですが、駅から徒歩20分に加え、羽村の取水堰も見たいと思ったので、半端ではない徒歩量が要求されることが予想されました。それでも、チャレンジャーなどという歌を聴いて、まだまだ冒険終わらないとか、疲れた足で踏み出す、みたいな歌詞にその気にさせられて、身体が病身であるときこそ、無理をする価値があるのだと思い込んでいました。
しかし、朝、行こうかどうしようか、という状況の時に突然雨が激しく振ってきました。さすがに、雨なら中止ということに異論はありませんでした。羽村は逃げませんから、大変な時に行く理由もありません。(もっとも、雨はすぐに止んでしまったのですが)
とはいえ、何もしないで家にいるのも良くないし、仕事場でずっと椅子に座って仕事をするのも、身体にも心にも悪そうです。そう思ったときには、既に14時をまわっていて、あまり時間的余裕がありません。
というわけで、以下の条件に合致するところはどこか考えました。
- 短い時間で行ってこられる場所
- 雨が降りそうだから屋内で歩く範囲が広い
- 何か気になるキーワードに引っかかるところがある
最初の2条件に合致するところに、世田谷文学館という名前が思い浮かびました。過去に、1回行っている場所です。
そこで、サイトを見ると、池波正太郎の世界展という企画展をやっていることが分かりました。しかし、池波正太郎は、気になるキーワードではありません。ですが、常設展示のビデオブースのプログラムを見ていると、「柳田国男と世田谷」というタイトルのものがあることに気付きました。柳田国男は、新現実 Vol.3の村山紀と大塚英司の対談などの絡みで、ちょっと気になるキーワードです。
もう1つ、この手のビデオライブラリは、最初の訪問では見尽くせないことが多いアイテムで、それをじっくり見に行くことに価値があると言う気もしていたので、それを確認しに行くのは前向きに肯定です。
と言うわけで、世田谷文学館に出向きました。
池波正太郎の世界展 §
池波正太郎という人の書いたものは、ほとんど読んでいません。名前は知っていますが、具体的にどういう作品を書いているのかもよく把握していませんでした。
しかし、個人的には、知らない人の展示を見に行くのは嫌いではありません。たいていの展示は、その人がどういう人であるか、分かるようになっているので、さほど困ることはありません。むしろ、知らない人について知ることができるからこそ、面白い、という言い方もできると思います。あまりによく知っている人なら、展示を見ても新鮮さが低くなってしまいます。
とはいえ、池波正太郎原作の鬼平犯科帳などは、テレビでちらっと見たことがあるので、あながち何も知らないとも言えないようです。
展示を見た感想は2つに分かれます。1つは、江戸時代の生々しい生活感を描こうとした態度への好感です。そこに人が生きている生活感と、人生。それを理屈の綺麗事だけでなく、描くのは創作態度として良いものだと思います。遠野秋彦さんの創作態度とも相通じるものもあって、時代を超えて普遍性のある何かかもしれません。
もう1つは、姿を変えていく東京の姿を「嘆く」言葉の中に、よくある「昔は良かった」という困った態度が見え隠れしているように感じられたこと。もちろん、街の景観が変化することを無条件に肯定するわけではありませんし、消えていく古い建物を惜しむ気持ちは、建築物ミーハーの私にもあります。しかし、けして昔が良かったわけではない、というのは紛れもない事実です。しかし、戻ってこない過去は美化され、それに対する批判精神が消えていくことが多いように思われます。
ちなみに、池波氏の描いた絵は、上手いんだけどアマチュアだなぁ、という感想でした。
柳田国男と世田谷 §
常設展示は、既に見ているのでほとんど無視してビデオブースに直行。
ウルトラマンについてのビデオを見ている親子連れが見終わるのを待って、まず、意中の「柳田国男と世田谷」を再生開始。
ビデオテープのオートチェンジャーを使ったシステムなのか、切り替えに非常に待たされます。
このビデオでは、成城に住んだ柳田が、町作りに協力したりする話が出ていました。柿の木を配ったら失敗した、というような失敗談もあるのが面白いですね。そういうことから、彼が学んだということもあるようです。
大宅壮一文庫 §
まだ時間があったので、次は大宅壮一文庫のビデオを指定。
大宅壮一文庫というのは、うちからそれほど遠くない場所にあります。(電車で数駅)
しかし、具体的に何がどうなっているのかよく知らなかったので、ちょっと興味があって再生させたものです。
ところが、いきなりびっくり。大宅壮一氏の「無思想人」というコンセプトは、今私が持っている思想性と相通じるものがあります。あらゆる思想から等距離であろうという、このような考え方は、思想=ミームとすれば、無意識のうちにミームを取り込んで言動をミームに支配されてしなわないための対策に相通じます。
別の言い方をすれば、プログラム言語ミーハーという態度にも通じます。プログラム言語ミーハーは、あらゆるパラダイム、プログラム言語に対して等距離で接してこそ、初めて成立するもので、逆説的に高度な思想性を要求されるものだとも言えます。
そういうことから考えると、無思想人という思想も、もしかしたら、時代を超えて通用する何かを持つのかも知れません。
また、大宅壮一文庫そのものも、なかなか魅力がありそうで、一度訪問してみたいと思いました。もしかしたら、何かの目的で活用することがあるかもしれません。
文学の街角―竹久夢二と少年山荘 §
あと1本ぐらい見る時間はある、と言うことで、最後は「文学の街角―竹久夢二と少年山荘」を選択。これは、何かの意図を持って選んだわけではありません。
ところが再生してびっくり。
夢二の建てた家、「少年山荘」は松原にあったと言うのです。
美保の松原ではありません。世田谷文学館で松原と言えば、世田谷区の松原です。
それは、私の住む下高井戸の目と鼻の先。世田谷線の松原駅は、下高井戸の次の駅です。そして、幼少の頃に通っていた幼稚園から目と鼻の先です。
ビデオには、いきなり下高井戸駅が登場し、夢二が玉電(世田谷線の旧名)の開通の頃に家から電車を見ていたエピソードまで。これは面白すぎます。こんな身近に、あの竹下夢二のゆかりの地、というか、まさに住んでいた場所があったとは。
こういう意外性が飛び出してくるから、こういう活動はやめられませんね。